『雑感』

稀に更新します。

とんねるず問題に関する要点整理

 

 

さて、保毛尾田保毛男問題ですが…
議論されるべき本質とかけ離れた主張をする人が多いなと感じました。 

いくつか挙げられる前提条件を箇条書きにしてみました。

 

①過去「保毛尾田保毛男」の影響で、学校などで傷ついた人が実際いるということ。
⇒喋り方,髭,仕草など
ステレオタイプな同性愛者に対する偏見が浸透してしまった。『ホモ』という言葉が独り歩きしてしまった。良い面より悪い面が多かった(残念ながら加害者{同調者}は悪い印象の記憶がない)。

 

②当時"LGBT"という概念は浸透しておらず、現在は性に関する多様な考えが広く存在している。
⇒少数派(LGBTに限らず
)による共同体の完成。それでもカミングアウト出来ない同調圧力の壁がある。

 

③単純な"言葉狩り状態"は正義の暴走に通じる。仲間ではない人たちを排除(屈服)する姿勢に大義はない。
⇒但し「
当時は良かった(許されていた)」は間違い。当時は「見逃されていた」「無視されていた」だけの節。

 

④今回の件を単なる「フジテレビ叩き」「とんねるず叩き」に話を擦り返えている人は議論の余地なし。
⇒賛否の双方側に通じる。話を次々ズラす事で体裁を保つ「2ちゃんねる的姿勢」を見分ける。

 

⑤性差別問題に取り組む(支援する)立派な方がいる反面、"差別と戦う正義"を振りかざすだけの人もいる。
⇒先のTwitter社抗議事件と同文脈。不健全に過敏過ぎる風潮の根源に"緩すぎた過去"存在がする点も。

 

➅同性愛者じゃない人が、同性愛者を語る(描く)ことの難しさ。明確な線引きがない故のトラブル。
⇒常に個人差が付き纏う問題である。最も「異性愛」経験の少なさ&恋愛至上(純潔至上)主義も目に余る?

 

⑦他の差別問題に無頓着な同性愛者の差別意識。女性(男性)を蔑視する同性愛者の意識。
⇒ex:トランプ大統領を支持する(女性蔑視,白人主義)高学歴ゲイ層の流れは実際確認されている。

 

ホモソーシャリティの欠如による人間関係自体の形骸化と"その反動"による暴走。
体育会系の全否定。家父長制の全否定。それに反動する底浅い思考と旧態依然とした価値観の暴走。

 

⑨"マウンティング主義"の台頭。"部活芸"から"サークル芸"、"サークル芸"から"クラスタ芸"の時代へ。
⇒「漫研のノリ」出版業界「進学校のノリ」官僚政府「飲みサーのノリ」政治社会団体などの台頭。

 
⑩マイノリティ側には全体を見渡す視野が無ければ、マジョリティ側との対立が激化するだけになる。
⇒これは性別問題だけでなく、民族差別の問題であったり、様々な政治問題に通じるでしょう。

 

 

今回の問題に関して「ハゲを弄るのはいいのか?」「デブを弄るのは?」という意見が飛び交っています。
大前提として、自分のキャラや(マイナス印象を受け易い)個性を売りにする芸風と、当事者以外の人を弄ることは異なります。線引きが難しそうな物真似にしても、常に対象へのリスペクトは念頭に置かれます。
そもそも、Aが宜しくないという意見に「じゃあBは批判するのか!」と返すのは"論点のすり替え"かなと。

⇒芸人に限らず、お笑いは正義の存在ではない。てれびのスキマさんの引用ツイートをRTしました。

爆笑問題太田光さんの「小倉智昭のかつら疑惑」は、そのギリギリ(?)を攻めたネタの一つでしょうか。

これも「正しい」「正しくない」は別として、談志師匠を敬愛する太田さんらしい言葉だなと感じました。
とはいえ、お笑いの「業の深さ」は観客側に伝わらない方が良いのかも。解釈も分かれるはずですし。

 

 

また、番組内容を批判しているLGBTの方の意見をちゃんと読んでいますか?

下記のブログもそうですし、Twitterを見ても「嫌だった頃を思い出した…」「描き方が"有り得ない"」という非難の声が多い一方で「人権を意識した番組以外を認めない」「断固排除」とは決して主張されていません。

note.mu

ブログに対するSNS反応を見ていると「あぁ、この人中身読んでいないんだなぁ…」と直ぐに分かります。

www.kanaehiphop.tokyo

大切なことが書かれた、凄く良い記事です。これら主張は「どれも正しい」と感じます。
重要なのは、正しさだけで物事は解決しないこと。いま起きている批判を一緒くたにしては宜しくないかと。

 

 

とんねるずさんの番組(特に貴さんの番組)は割と見ている方ですが、いわゆる"部室芸"は心苦しさと面白さが紙一重な印象。悪ノリのオンパレードに内輪受けネタ。秋元康さんと共に予定調和を壊す姿勢は、AKB48にも受け継がれています(初期ハロプロも同要素を含む)。なので「懐かしい」と思う視聴者を僕は否定出来ません。

個人的には「貴さん、いまは駄目なんだから!」とツッコめる人(対等な異業者)が欲しかったなと(たけしさんも一緒にボケつつ暗に示していた)。マツコさんを呼んで、一発ツッコんでくれたら大分違ったかもしれません。
或いは矢作さんや次課長の河本さんがフォロー入れるだけでも。余りにも配慮が足りなかったなと。

 

今回の番組批判を受けて「出演者がハイハイ言ってるだけの番組を作らないと干される!」だとか「批判されない風景番組しか作れなくなる!」だとか…喚いてる放送(競馬)関係者は「問題の本質」を理解していません。
要するに「単なる実存の崩壊(漠然とした放送業界がコンプラで縛り付けられることへの不安)を回避するため、誤爆があろうとも対象を攻撃する連中」と何ら変わらないです。ちゃんちゃらおかしいじゃないか。

 

 

www.fujitv.co.jp スーパーカーの企画、面白かったけどなぁ(笑)

萩原D:「弱い者いじめに見えたり、演者さんが傷ついて見えたりすると、演者さんが笑いのために体を張って頑張ってくれたことが全部無駄になってしまう。だから、きちんと笑いとして伝えるのが、僕たちの責任なんだと思っています」※上記記事より引用

今回の件で「とんねるずは"確信犯で時代に合わない笑い"をやった」という意見があります。
うーん。前半の「いいとも」のパロディも「部活芸」の延長線上ですが、確かに「時代に合わない芸」かもしれない。しかし、故意(分かった上で)という意見には違和感があります。とんねるずの笑いは基本「部活芸」です。しかし「教室芸」ではない。この辺りは古舘伊知郎との番組『第四学区』を読み解くと見えてきます。 

 

表現の線引き(ルール)が変化する中で、ギリギリを"攻める"テレビ番組が人気を博しているのも事実です。
『ゴッドタン』であり『イッテQ』であり、これら番組が「BPOに怒られたことがない」件は有名ですね。

同性愛者じゃないけど、"HOTな芸"を維持し続ける藤井隆さんの名前が出ないのも寂しいなと。
上手く成立しているバラエティ番組が沢山ある。この点からも「昔は良かった」は総意じゃないと思います。

 

常に多数派と少数派が付き纏う問題は「迎合」「改心」ではなく「認め合う」ことが重要です。
「当時は許されていたのに、つまらない」という意見には、当時は見逃されていただけ(黙殺されていただけ)という認識がありません。学生時代のイジメを「受けた側は覚えていても、実行していた(黙認していた)側は覚えていない」ケースなんて、ザラにあります。これと同じ文脈(とその構造)は様々な分野で見かけます。

 

そんな訳で頓珍漢なことを言われようが、しっかりと抗議する姿勢は大切です。デマを釈明せずに話を次々ズラす事で体裁を保つ連中や正義を降り飾る連中に構う事無く、自分はNOと言える世の中でありたい。
次のステップとして、相手(傍観者)を受け入れる姿勢が求められます。これは政治の課題と通じます。
また、情報媒体(メディア)は旧概念に捉われない…以前に「ちゃんと取材して、書く」姿勢が求められます。

 

保毛尾田保毛男問題は、いわゆる「サイレントマジョリティー」を焙り出す良い契機になりました。

かつて、そうした笑いがTVを席巻した時に放送の第一線を退いた作家がいます。景山民夫さんです。
景山さんは「視聴者は贅沢。もっと裏側を見せろ、作り上げたものではない"生のもの"をみせろ」という声に落胆したと『クリティックス』で話しています。そう考えると、「昔は良かった」の「昔」は昔特有か?

荻上チキさんの「才能があるなら"もっと上手な歩き方"で態度で示す。プロフェッショナルならやれる」という意見にも賛同です。荻上さんも評論家なんだから、もう少し"上手な言葉を使って欲しかった"とも感じますが、それを指摘すると、今度は客(視聴者)を馬鹿にしている様な気もする訳で。論点もズレますからね。

いずれにせよ、抗議の告発を「断固反対」「叩き潰せ」みたいに解釈する人たちは「本当に見当違い」です。