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『雑感』

稀に更新します。

「ノンフィクション」の中の「フィクション」

 


まさか、町山智浩さんご本人から引用ツイートをRTされるとは思わなかったですが…。


TBSラジオ火曜『たまむすび』で映画評論家の町山智浩さんが『FAKE』を紹介されました。

youtu.be

この「FAKE」は、業界を中心に現在話題沸騰中。やはり“佐村河内騒動”の影響は大きいようです。

聾の作曲家として『交響曲第一番 HIROSHIMA』や『鬼武者』BGMなどを発表してきた佐村河内守さん。実は音楽家の新垣隆さんが作曲をしていたと露呈し、大騒動になったのは2015年初頭ですね。

この後"小保方さん"や"サノケン"と詐称スキャンダルが乱発。結果的に佐村河内さんはゴーストライター使用を認め、聴力も「聾」ではないと公表。髪を切って会見に臨んだ姿は話題になりましたね。そのまま佐村河内さんは公の場から姿を隠し、一方の新垣さんは本業を含めて活躍の場を広げ、お互いの明暗は分かれました。

6月4日に公開される映画『FAKE』は、佐村河内さんの「その後」を追ったドキュメンタリー作品です。監督は『A』の森達也さん。オウム真理教や超能力者、政治・社会的なテーマを追いかけ、その「紹介・提起・批評」を行う、ドキュメンタリーの第一人者です。

僕自身はというと『A』『A2』を見ていません。『放送禁止歌』は見たことがある。世間から「批判」「タブー視」される事柄を「本当はどうなのか」掘り下げる。わたし達に警鐘を促す。そんな作品の印象です。

今回の『FAKE』は「佐村河内問題の嘘」に深く切り込んでいると推測。内容は非公開のため分かりませんが、とにかく「最後の15分間」は衝撃の展開。試写会参加者の中でも「賛否両論」の結末とか。

町山さんも仰られていますが、ドキュメンタリーは「ノンフィクションであってフィクション」です。制作者の「意図」で印象は変わります。カメラを人に向けた時点で本心は「本心」じゃなくなる。これはドキュメンタリー映画に限らず、TV番組の内容・演出にも言えます。

友人と写真を撮る時なんかも、何かしらの「ポーズ」を取れば「演出」を含みます。可愛い顔は「本心」なのか。変顔は「何を演出している」のか。SNSに載せる豪勢なフランス料理は本当に「美味しかった」のか。「演出」と「ヤラセ」の線引きを前もって意識しておけば、ドキュメンタリー作品は楽しみ易くなると思います。

 

アクト・オブ・キリング』はインドネシア大虐殺を題材にした作品。何と言っても「加害者の視点」から検証されるドキュメンタリー映画です。関係者の言動と、取材者の監督による「演出」の要素が、じわじわと作品の笑えない滑稽さと恐ろしさを引き出します。というより結構「エグイ」。

何より、取材が行われる中で「加害者」はとある変化を起こし始める。この作品における監督の「演出の効果」は相当大きいです。「主観」と「客観」と「事実」と「演出」と…その組み合わせが「ドキュメンタリー」を作る。時に観客の反応も「作品の一部」となります。

「佐村河内問題」は当人とその周辺に限らず、報じたメディアや世間の反応も重要です。故に『FAKE』への期待は大きい。佐村河内さんは「本当は」どんな人なのか。あの騒動は何だったのか。衝撃のラスト、作品名『FAKE』の意図する事は何か。

町山さんは上記の動画(TBSラジオ『たまむすび』内のコーナー)終盤に「とある指摘」をします。
「みんなが同じ方向に向いて、一斉に叩くのは恐ろしい。佐村河内だけじゃなくて小保方、ベッキー、ショーンK、乙武君…」(意訳)
昨年の「女子アナと清廉性」問題、高校野球の「女子マネージャーが作るおにぎり」美談にも通じるかもしれません。
数日前からSNSを通じて「不謹慎狩り」なる言葉が流行しています。その発端は熊本大分大震災に関する有名人のSNS投稿。以前からある問題ですけどね。総じて標的の多くが「女性」だったり、双方の意図が善悪では計れなかったり、とても複雑です。

何の検証もせず、わざわざ本人に「悪質な言葉」を書き殴る。逆に他人の「いいね」や「毒舌」を、その「心地よさ」だけで賛同する。
「心地良さ」の危険性。そういえば先日競馬界でも、名古屋競馬の「とある騎手」の鞭の使用に関する問題がありましたね。

「鞭の悪用」一つ取っても、観念的な問題、制度的な問題、検証の問題、謝罪の問題、切り口は色々と見つかります。
叩きの急先鋒とされる人物は、残念ながら以前ブログにも書いた「ノーリスクの悪意」に満ちています。閉鎖的な社会や動物愛護に関する考察もイマイチ。虚偽の情報を流し、他者を扇動するだけ。当初の問題はすり替わり、本質が「置いてけぼり」の状態です。

個人的には「電凸」「メール凸」は効果的だと思います。素人が「署名運動」や「ロビー活動」を行う事は難しいし、SNSで罵倒したり、こうしてブログに書くだけでは意味がない。地道でも、関係者に直接働きかける、直接訴える事が重要だと感じます。急がは回れ。

少なくとも、競馬が仕事な人、競馬が「ライフワーク」の人が、軽々しく「信用」して、軽々しく「義憤」に駆られて、軽々しく「憤怒」するのは賛同しかねます。展開する批判の理由が「建前」の場合は割とバレます。「不快だから」「暇だから」と捉えられても仕方ないです。

岩田康成騎手のイメチェン(?)にしても、ディーマジェスティの横断幕にしても、何とも「賛同し難い意見」が見受けられます。
こと岩田騎手に関しては、写真の隣が「金髪」の「女性」でなければ、ファンの反応は違ったかもしれない。それってどうなのよと。

わたし達は「馬券を購入する」ので、必ずしも社会問題の様に「タダで感動を得る」「タダで信用が取引される」関係ではありません。
しかし、自分の都合で「言動」を使い分けていないか。「打算的」に馬券を購入して、外れたら「感情的」に昇華していないか。

「信じる」暇があったら事実を「疑った」方が、「怒る」暇があったら「評価」「考察」をした方が、納得できる答えは出るかもしれない。
「正論」「義憤」に駆られても、それを自分勝手に「消費」して、仮想的有能感に浸る大人にはなりたくない。そう感じます。

兎にも角にも、映画『FAKE』公開までのあと1か月少しが待ち切れない所です。